心に残る思い出の歌 (1)
中学生の時、なぜかブラスバンドに所属しクラリネットを吹いていた。どうも学校医に心雑音を指摘され(これは明らかに誤診であった)運動禁止と言われたせいもあったと思う。ベンチャーズに刺激を受けて仲間とバンドのまねごとをしていたのも中学時代であった。高校へはいるとオーケストラに所属したこともあって、エレキギターはクラシックギターへ変わり、そして吉田拓郎や南こうせつに刺激されフォークギターへ変わっていった。

「戦争を知らない子供達」 杉田二郎
高校時代に音楽祭があった。この時、クラスのみんなで何を演奏し歌うかが話し合われた。ちょうどそのころは学園闘争の終焉を迎えようとしている頃、浅間山荘事件、ベトナム戦争、世の中は荒れていた。
僕の提案が通って、ボクと友人のフォークギターの演奏に合わせてクラス全員で歌った。日本の反戦歌の原点ではないだろうか。青い時代の頃の思い出である。

昨年だったか、フォークルの再結成があった。北山修は京都府立医大を卒業し精神科医として今や九州大学の教授である。深夜に行われたその放送を見逃したボクは、先輩からビデオのダビングを送って頂き、涙を流しながらそのビデオに見入った。北山も加藤も年をとったが、それはまさに青春そのものであった。

「傘がない」 井上陽水
大学一年は新潟郊外の賄い付き下宿に住んだ。大学が新潟市内の街中から「五十嵐砂漠」と学生に馬鹿にされた郊外へ移転したからである。となりには砂浜にスイカ畑が広がり、いつでも盗んで食べてくださいと言わんばかりであった(実際に夜陰に紛れていただいたこともあった)。ある時、ラジオ(部屋にテレビなんてない!)から流れてきた曲、それが井上陽水の「傘がない」であった。なんだか不思議な魅力を持った曲であった。日常何気ない風景をサラッと歌った曲、それまでも自叙伝的フォーク歌手はいたが、特別なメッセージを伝えるわけでもないアンニュイ的音楽は、学園紛争に疲れたノンポリ学生には共鳴するものがあった。

「神田川」 かぐや姫
神田川がどこを流れているかも知らない田舎大学の学生だったボクは、「五十嵐砂漠」を離れて附属病院へ歩いていける距離のアパートを借りるようになっていた。さすがに風呂はついていたが、銭湯へ彼女と行くという歌の内容には共感するものがあった。南こうせつの顔に似合わない澄んだ歌声は切ない響きがあった。
当時は深夜放送が流行っていた。ニッポン放送だったと思う。那智わたるとチャコこと白石冬美がパーソナリティを務めた番組があった。「お題拝借」というコーナーがあって、その日は「キミ、男かね女かね」というお題だった。夜遅くまで笑いながら聴いていた。
翌日の産婦人科の講義で、講師の先生が女性を指名しようと階段教室を見回していた。なぜかボクと眼があった。その時彼はボクを指さして言った。
「キミ、男かね女かね」
「・・・」
教室は爆笑の渦。
当時、もうすたれつつあった長い髪をしたボクは、「女性を見る眼」を持たない産婦人科医師に女と間違われたのである。

「時代」 中島みゆき
昔、飯豊連峰に登ったときにテントの中で聴いていたラジオから流れたのが、中島みゆきの「時代」であった。山の仲間と雑魚寝しながら聴いた時の感動は忘れられない。何故か中島みゆきのコンサートには行っていない。ラジオのパーソナリティをしている彼女のおしゃべりを聴いて、きっとコンサートで歌の合間に聴く話としては耐えられないだろうなと思ってしまったからである。だから「夜会」には一度も行ってない。
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