津波
昨年の新潟県中越地方を襲った大震災の時、すぐに田舎の親父に電話した。幸い、築55年のチョウ古い家であったが、そこは材木屋の家だけあって丈夫に作ってあったようだ。
「新潟地震の時よりは揺れたなぁ」
親父は電話の向こうで、思った以上にのんびりと答えていたので安心した。

新潟地震は小学5年の時であった。誕生日の次の日、6月16日だったので良く覚えている。ちょうど午前の授業(書道だったと思う)が終わって後かたづけをしているときだった。一階の洗い場で白板を洗おうとしていたその時、後ろの扉がガタガタと音を立てたかと思うと同時にものすごい揺れに襲われた。そこから先はどうやって集合したかは覚えてないが、先生の誘導でいつのまにか校庭に集まっていた。
学校は集落の高台にあった。向かいには日本海が広がる。いつの間にか海が引き始めたということを聞いて、みんなで海岸へ向かった。いつもは潜る岩場が顔を出すほど海の水はずっと引いている。みんなで砂浜を歩いて貝拾いをした。
今思えばこれは津波の前兆の引き潮だった可能性がある。しかしこの後、津波に襲われてはいない。襲われていたら今こうしてここにはいないであろう。
昨年末のスマトラ沖地震によるインド洋の津波のニュースを聞くたびに思い出す。

それにしても警報システムの大事さというものを改めて思った。ここでもまた日本は「自分さえよければ」と思われる国だと思われたに違いない。アジア軽視政策のつけであろう。国連常任理事国になるためには、もっとアジアの国々に眼を向けなければならない。第二次大戦後の復興は彼らの犠牲の上に成り立ったと言っても過言ではないからだ。
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