告知−医者はいつから神になったか
ボクが医者になって最初に辛い思いしたのは白血病の患者さんであった。1978年当時は悪性疾患の病名告知なんてありえなかった。ただひたすらウソを通すことだけを考えていた。どう考えてもつじつまの合わないことを言い続けるのである。ウソをつくのが苦手なボクにとっては辛い研修医生活であった。
その患者さんは急性前骨髄球性白血病であった。治療法が進んだ現在ですらも死亡率の高い白血病である。その患者さんは再生不良性貧血という病名のまま、まだ小さい子供を残してあっというまに亡くなった。「本当の病名を教えてください」という悲痛な訴えに本当のことを言えないまま亡くなられた。
この「事件」はその後のボクの進路を決定づけることになる。血液病学を専攻しようとしていたボクは器用貧乏だったせいもあって、消化器内科、呼吸器科内科、はたまた小児科の先生からも入局するように誘われていた。しかしこの事件を契機にガンを扱う科は専攻しないと決めたのである。内科でガンを扱うことがほとんどない科目は循環器内科しかない。物理学や力学が苦手なボクが循環器内科医になろうとは誰も思っていなかったに違いない。
 
世の中が情報過多になっていくにつれ、もう医療情報を医者が独り占めする時代は終わった。「ガンセンターにはガン患者が一人もいない」と皮肉られた暗黒の時代から「ガンセンターにはガン患者しかいない」と堂々と言える時代になったのである。
一方、医者が「自由に」告知ができるということは大きな意味をもっている。早期ガンならまだしも、進行ガンであるならばそれは患者にとって死を意味することになる。救いを求めてきている患者に死を宣告することがどれだけの苦痛を与えることになるか。
「あなたは後×ヶ月の命です」と伝えることが告知ではないはずだ。生きる時間、死ぬ時を決めることができるのは神のみである。
「本当のことを告げることが告知である」と思っている若い医者が多いことに愕然とするのはボクだけであろうか。本当のことを言える時代になった今でも、やはり「ガンを専攻していなくて良かった」と思ってしまう。
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