下宿のおばさん
田舎の中学を卒業したあと、進学校と言われた高田高校に行くことになった。当時の新潟県では、なぜか県校と呼ばれる新潟高校、長岡高校、そして高田高校が公立の進学校であった。高田高校には上越地方だけでなく長野県の県境の町村から越境入学する人もいた。
おおよそ30km離れた高田市(現在の上越市)に通学するのは大変であった。当然、下宿することになる。高校の裏門の近くに同郷出身の未亡人が世話してくれる下宿があった。同じ町内からの進学者3ないし4人が暮らすのである。それはそれは狭い部屋であった。しかし勉強に打ち込む環境としては最高だったように思う。
一年の時のクラスはとても優秀なクラスであった。後に東大に現役で合格した者がほとんどこのクラスにいた。テストの平均値は他のクラスよりも断トツに高かった。当時の担任があきれるくらいであった。このクラスにいたことが田舎育ちのボクにはかなりの刺激になったことは間違いない。当時の担任だったS先生が言った言葉は35年経た今も頭から離れない。それは田舎ものでもガンバロウという気にさせる言葉であった。
 
運動は卓球、オケラでクラリネットを吹く高校生活を始めた。8時30分に食事して(決まったように厚焼き卵と大根おろしだった)、下駄履きで裏門を登って教室には45分ギリギリに入る生活を三年間続けた。三歳下の弟も同じように高田高校に進学し下宿した。
膝の悪いおばさんはいつも椅子に座りながらにこにこしながら見送ってくれた。あの下宿から巣立った同郷の人たちはみんなどうしてるだろうか。
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