ボクの師たち(1)
人生には「あの人に出会わなかったら・・・」という人がいる。
医者になって最初の修業先は新潟市にある新潟市民病院であった。創立して5年目を迎えた若い病院であった。大学での研修を選ばすに同級生4人とそこの内科研修を受けた。
 
血液学の専門家であった塚田先生はボクの「臨床の師」である。右も左もわからない一年生を懇切丁寧に指導なさってくれた。患者の診方、接し方、データの読み方などなど。彼が軽く曲げた親指を伸ばした人差し指に添えながら温度板を指さしながら教えて下さった姿は忘れもしない。それは厳しい先生であったが、今もボクの臨床医としての根幹は彼から教わったのである。
 
彼に影響されて血液学を志したボクを「転向」させた先生が、二年目に研修した長岡赤十字病院の循環器内科部長、神出鬼没の青柳先生である。きっと彼はボクの性格を見抜いていたのであろう。器用貧乏のボクをエコー学に走らせ、二人でカテーテル検査を始め、学問以外のいろんなことも教えていただいた。
「オオタキクン、人間は死ぬときはみんな心臓で死ぬんだよ」
「オオタキクン、君が決断して使った薬で患者さんが見る見る間に良くなったり悪くなったりするんだよ」
 
榊原記念病院に勉強に出てきた時、「心臓カテーテル」という循環器内科医のバイブルとも言える本を書かれた鈴木先生がいらっしゃった。「紳ちゃん」と呼ばれる彼は非常に厳しい方であった。カテーテル室とCCUをこよなく愛した彼は、本当に記憶力の優れた先生で、患者さんの細かいことをよく覚えていた。
ボクが就職したときにいた先生たちは、全員彼とケンカ別れするような形で辞めていった。当然、ボクも辞めようと思ったが当時の院長はボクを異例の早さで内科部長にすることで引き留めた(と思われる)。幸い彼とは専門分野が違ったこともあってあまり衝突することもなかったが、率先して患者さんを診て治療する彼の姿勢は多いに学ぶものがあった。
 
この三人に共通するのは、若くして「胃癌」で倒れたことである。塚田先生も青柳先生も、そして鈴木紳先生も50歳前後で病魔に倒れられた。彼らが生きていたらボクの人生は変わっていたに違いない。合掌。。。
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