プロレスと野球
親父は新しもの好きであった。オートバイにまたがったカッコイイ親父の写真は眼に焼き付いている。田舎にしては珍しく車を乗り回していたし、テレビもまわりのどの家よりもいち早く購入した。
とくにテレビは力道山の活躍したプロレスを見たくて買ったようなものである。田舎には街頭テレビなんてなかったから、プロレスの時間になるとバイクの後ろに乗っけられて、4km離れた親戚の電気屋さんまで観に行く。空手チョップを連発し、最後には悪役レスラーを倒して喝采を浴びる。その興奮を胸に親父の背中に掴まりながらバイクに乗って家に帰りお袋に報告する。それが楽しかった。
 
親父は仕事を終えて帰ってくると家の前の参道でキャッチボールの相手をしてくれた。当時、野球のグローブなどはそう簡単には買えなかった。
そのころ我が家にはヤギがいた。牛乳などめったに飲めない時代である。ヤギの乳搾りをして、それをご近所に売り歩いた。
グローブはその山羊の乳を売って得た小遣いで買ったものである。
お寺の参道にもなっている我が家の前の石畳で、親父や兄弟でキャッチボールをした。自分が藤田であり、稲尾であり、金田であった。
それから30年後に藤田さんの主治医となるとは想像すらできなかった。その藤田さんも今年の2月に鬼籍に入られた。ボクには何とも言えない悲しい知らせであった。
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