若月俊一先生の死
あれは高校一年生の時だった。
当時は大学の学園紛争が浅間山荘事件、大菩薩峠事件などを経て終焉の時期を迎えようとしていた。僕の通っていた高校にもわずかに闘争のまねごとをする生徒はいたが、多くの生徒は「制服廃止、服装自由化」という軟派的問題で盛り上がっていた。
親元を離れて下宿していたボクは、本を読むのが好きで、特に岩波新書を片っ端から読んでいた。
その中で農村医療について自らの経験を元に書かれた「村で病気と闘う」という若月俊一先生の本には非常に感銘を受けた。小学生の時に読んだシュバイツアー伝記が漠然と医師を目指すきっかけとなったとしたら、この本は医師になることを決定的にした一冊であった。
 
南木佳士(ナギケイシ)という芥川賞作家がいる。
彼はボクの二年先輩の医者である。東京の高校から当時新設されたばかりの二期校である秋田大学医学部へ都落ちする。ボクの恩師の一人である柴田教授が秋田大学にいたときの学生である。彼の学生時代のことは自叙伝的小説「医学生」に詳しい。
その彼が卒業後選んだ病院が長野県佐久総合病院であった。当然ながら彼は若月先生の生涯を書いている。それが「信州に上医あり−若月俊一と佐久総合病院」という評伝である。
 
その昔、医者が単なる医者だけではなく「社会の改革者」になり得た時代があった。その一人が若月先生であり、彼が96歳の生涯を閉じるとともに少なくともこの日本ではそういう時代は終わった。
合掌
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