医師不足(1)
ここのところ「医師不足」がどこからともなく聞こえてくる。
わが郷里が生んだ宰相「角さん」が一県一医大を実現して以来、毎年8000名を越える医者が誕生しているにもかかわらずだ。
現在、我が国には25万人ほどの医者がいる。1.2億人の国民数だから一千人あたり2.2人ほどの数になる。確かに欧米に比べればまだ増やす余裕はありそうだ。
しかしただ数だけを増やせば良いのだろうか?
そこにはいろんな問題を含んでいる。このコラムでは書ききれないほどたくさんある。
 
まず「どのような状況がこのような問題を生んできたか」を考えてみる。
 
東京に来る前に勤務していた新潟県立中央病院は開院以来京都大学の関連病院(いわゆるジッツ)であった。地元出身の医者は、県立中央病院に勤務するためには京都大学の医局に入局したうえで派遣されなければ就職できなかった。それだけでなく高田市の重症患者はわざわざ京都大学病院まで運ばれることもしばしばであった。地元の新聞がそれを美談のごとく書いた記事を苦々しく思って読んだことを鮮明に記憶している。
 
そもそも医者の分布を決めてきたのは、大学の教授を頂点とした医局制度にあった。それぞれの教授が「ジッツ(ドイツ語で席のこと)」と呼ばれる関連病院を押さえて、そこに自分の医局員を派遣するという仕組みである。医師自らの意志で行きたい病院を決めることはできない。例えばA県立病院の院長は循環器内科医が欲しいと思ったら、ボスの教授にお伺いを立てて派遣依頼をするのである。風来坊医者が勝手にそこの病院へ就職することはできない。当然派遣されてきた医者が若造で実力がなくトラブルを起こしても、教授が引き上げを了解しない限りクビにはできない。院長には人事権はない。
当然ながら教授は子飼いの医者を抱え込まなくては勢力圏を維持することも拡張することもできない。そこで卒業前からいろんな勧誘で医者の卵を招き、入局させ、一人前に育て、ジッツに派遣し、その中から「優秀な」人材を医局に残し将来の後継者に育て上げる。これが明治以来連綿と続いてきたのである
実はこの徒弟制度やインターン制度に反対して60年代から70年代の学園紛争が始まった。あの紛争を経てなにが変わっただろうか?
 
今、「マッチング」という新たな研修医制度が始まった。医局による研修医の「青田買い」ができなくなった。これは厚生労働省による医局制度崩壊への仕掛けである。独立行政法人化された国立大学医学部がみずから医局制度を変えなかったつけが、今の医師不足の原因である。
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