心臓移植
あれから12年の歳月が過ぎた。
世に心臓移植を望む患者の心の問題を問うた拙文を発表したのが94年だった(文藝春秋「移植できず」)。それからいくつかの紆余曲折を経て脳死移植が始まったが、10年たってわずか50例である。
 
一方で海外渡航して移植をする患者さんが後を絶たない。我が国では相変わらず小児の脳死移植が認められない。だから子供の心臓移植を受けに行くために渡航費用を募金で集めるという報道が多い。
また最近では中国政府が移植目的に中国へ来る日本人患者を制限することを発表した。それほど中国やタイなどへでかける患者が多い。特に中国では死刑囚からの移植が多いとの報道もある。エコノミックアニマルと揶揄されたバブル期の日本人ならぬ「臓器アニマル」と言われてもしょうがない現状がある。
移植医療は不公平医療とさえ言われ多くの識者たちは反対した。自分の国でどうにも進まないから、死刑囚や臓器売買の手を借りてまで移植を受けに行こうとする金持ち日本人を責めることはできない。
ここにも「身勝手日本人」が見え隠れする。
 
先日、ボクの患者さん(コラムで紹介した女性)のお茶の師匠Sさんが尋ねてきた。
「先生はKさん(文藝春秋ではMさんと書いた)の主治医でらっしゃったでしょ」
「私がペースメーカー手術で入院したときに同じ部屋だったんですよ、覚えてらっしゃいますか?」
「窓際のベッドにいたかわいいお嬢さん、彼女は先生のことをとっても慕ってらっしゃいました」
ボクたちは彼女のことで診療時間を忘れて話し込んだ。ボクは不覚にも思わずこみ上げてしまって涙してしまった。
 
Sさんはボクが彼女のことを文藝春秋に書いたことをご存じなかった。ボクはそれを彼女に渡した。彼女は待合室でそれを読み涙を流した。
 
今の移植の現状をあの世でみながらKさんはどう思っているだろうか。
彼女のご主人はようやく再婚し子供にも恵まれましたと年賀状にあった。
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