医師不足(3)
虎ノ門病院泌尿器科の小松秀樹先生は、勤務医から開業医へのシフトを「立ち去り型サボタージュ」と名付けた。ハードワーク・ローリターンの勤務医に見切りをつけて、ローワーク・ハイリターンの開業医へという流れができているらしい。らしいというのはボクの所属する小石川医師会ではそれほど開業医が増えているという印象はない。もっとも最近の若い人たちは高い入会金や三段階上納金を嫌って医師会に属さないことも多いらしいから、なんともいえないが。
 
勤務医が嫌気を覚えた最大の理由はなにか。まだ実数がだされていない(把握しようがないかもしれない)のでなんとも言えないが、最大の理由はハードワークを支えてきた使命感が消失してきたからだろう。そのきっかけになったのは医療訴訟の増加だと思う。合併症や事故を直ちにミスだ過誤だと訴えるだけでなく、メディアまでが個人責任を問い院長が頭を下げるまで裁判官のごとく問い詰める。
通常、医師個人が犯罪の意志を持って医療行為を行うことはありえない。しかし一定の確率で起きうる合併症まで個人の能力として責任を問われたら医療行為はできない。
 
ある裁判の鑑定を依頼されたことがある。それは入院時の一枚の胸部レントゲン写真をどう読むかによって左右される「事件」であった。大きな病院ではチーム医療であり、レントゲンを専門的に読める放射線科医がいたりするが、小さな病院ではそれも無理である。個人の能力によっては見逃されることもある。結果として入院時診断が遅れたために後手後手となり最終的に患者さんは亡くなられた。これは犯罪だろうか?
これを犯罪とされたら我々は医療ができなくなる。常に100%正しくありたいとは思うが、常に100%正しくなければならないというのならそれは無理だ。絶対に患者は死んではならないと言うのなら、それは無理だ。医者が人である限り、システムとして個人の能力不足を補うようにすべきであって、決して個人の能力そのものを問うてはならない。
萎縮医療にすすむことがどこにしわ寄せが来るか。その良い例が小児救急であり、産科医の減少である。
 
朝から晩までこうでもかこうでもかとミスと言い続ければ、誰でもが医者を犯罪者だと思ってしまう。メディアこそ問題の本質を深く探り短絡的に決めつけない冷静さが必要なはずである。
 
それにしても開業医が楽で高収入ということはある面では正しいが、それもまた夢になりつつある。開業医が増加しているとしたらそれは千載一遇のチャンスかもしれない。高齢化し既得権益を守ろうとする医師会に新しいセンスを吹き込むよい機会だからだ。ただ医師会が任意入会であることや、医師会そのものに魅力がないために医師会員にならないという現実もまた虚しい。
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