メディアの危険性
今やメディアが第一の権力者であることは紛れもない事実であろう。
民主主義国家においては主権在民が本質であるが、その国民の意思=世論が何によって形成されるか。
郵政解散、ホリエモン、村上ワールド、全てメディアが作り上げそして見事に蹴落としたのだ。我々と同世代の安部総理誕生も然り。
世論を誘導できるメディアの責任はきわめて重いはずである。
 
ボクはずっと朝日新聞の読者である。日経はたまにしか読まない。読売はネットでしかみない。毎日はネットですら見なくなった。産経は一度も見たことがない。朝日はダイッ嫌いなのだが(読み始めたころはもちろん好きだった)、なかなか替えられない。心理的に「読売はねぇ」だし(実は巨人や渡辺某が嫌い)、日経は株価だけだしなぁ、という偏見、消去法で朝日が残っているわけだ。
例えば脳死問題が盛んだった時、朝日の論調は徹底して脳死移植反対だった。その一方で社会面には海外渡航移植募金活動が美談調で書かれていたりする。この矛盾がずっと気になっていた。文藝春秋に書いた頃、朝日の記者に移植のことで取材を受けたことがある。科学部所属の彼にその矛盾を聞いてみた。それは社会部と科学部(医療記事を扱う)の温度差=対立のためらしい。
 
医療問題に限らない傾向かも知れないが、我が国のメディアはなぜか個人攻撃に走りやすい。システムの矛盾や社会制度も問題をつかずにセンセーショナルに書き続ける姿勢が眼につく。
それに日本の新聞にはなぜ署名記事が少ないか。署名することで書いたことへの責任が発生するが、署名なしと言うことはいかに無責任であるかの裏返しであろう。
 
それにしても年末年始はスポーツ中継以外のテレビはいっさい見ない。そもそも似たような番組を垂れ流すだけならこんなにチャンネルはいらない。藤原正彦風に言えば「国民の品格」をだめにした元凶は、テレビに代表される「品格のないメディア」であることは間違いない。
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