越後というところ
患者さんでもあるNさんは佐渡島の生れ、なかなかの美人である。彼女は霊感を感ずるらしい。時々怪しい眼をして怪しいことを言う。人工心肺を使った心臓手術をした後から、どうも眠っていた霊感が目覚めたらしい。
佐渡と言うところは順徳天皇、世阿弥、日蓮などの都からの流人だけでなく、佐渡金山で労役を課せられた罪人など多くの外の血が入る島であった。そのことを考えると彼女の霊感は偶然ではないような気がしている。
 
この正月休み、多くの本を読んだ。
昨年、新潟へ大学院講義に行った際に古町の書店で買い込んだままになっていた本があった。梅原猛著の「日本の霊性・越後佐渡を歩く」(佼成出版社)である。
彼は一週間ほどで新潟を南から北へ旅した。
 
もともと我が古里、頸城地方は糸魚川のヒスイで有名であり、奴奈川姫と大国主命の関係は有名である。となりの直江津は親鸞の流刑地であり、彼の妻の恵信尼は高田の在である板倉町の豪族の娘だった。高田は小川未明、相馬御風、小林古径などを生んだ。上杉謙信が死に、徳川家康に負けた上杉家が米沢に転封されるまでは新潟の中心は春日山であった。
良寛さまは佐渡島の対岸である出雲崎町で生れ育った。田中角栄はその隣町の出である。
また今をときめく創価学会の創始者は柏崎の出身だし、立正佼成会の創始者は十日町の生れである。
こう考えると越後というところは大国主命の時代から日本の精神構造になんらかの影響を与える人物を多く輩出してきたような気がする。「男の子と杉は育たない」と言われながらでも・・・である。
 
高校一年の夏休み、同級生四人で直江津からフェリーに乗って佐渡島サイクリング旅行に行った。当時はまだ道路が舗装されておらず、T君の自転車はしばらく走って直ぐにパンクしてしまった。小木と相川の中間ほどのところで、ある集落に立ち寄って自転車を修理してくれるところを探した。やっと見つかったところで修理をお願いするが、全くのんびりとしていて急ぐ気配がない。このままでは日が暮れてしまう。話す言葉も動作も「これが同じ越後人か」と思うほどのんびりなのだ。
やはり佐渡の人には高貴な人の血が流れていると思ったことを思い出す。
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